長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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航海遠略策を朝廷に建白した翌月、長井雅楽と連携して公武合体運動を推進していた安藤信正が坂下門外の変の責任をとって老中を退いた。安藤失脚で幕閣の後ろ盾を失った長州藩は木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派の運動により公武周旋路線を放棄し長井は切腹処分、朝廷もまた薩摩藩島津久光の公武周旋案に乗り換えた。
日本史年表