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児玉こだま 源太郎げんたろう

1852年~1906年

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華も実もある日露戦争の英雄にして植民地経営を初めて成功させた台湾総督、若死にが惜しまれる陸軍長州閥最高の逸材

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年表

1852

徳山藩(長州藩支藩)の中級藩士(家禄100石)児玉半九郎の嫡子児玉源太郎が周防都濃郡徳山村にて出生

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1864

禁門の変

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)

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1864

長州藩「正義派」に属する児玉次郎彦(児玉源太郎の姉婿)が暗殺され児玉家に家名断絶・家禄没収処分

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握、13歳の児玉源太郎が家名再興を赦される

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1866

薩長同盟

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

王政復古の大号令

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

奥羽越列藩同盟が成立

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置

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1868

旧幕府海軍の榎本武揚らが軍艦8隻を奪い江戸を脱出、仙台で旧幕府軍を吸収し箱館五稜郭で蝦夷共和国樹立を宣言するが旗艦の開陽丸が座礁沈没

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1868

板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居

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1868

盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結

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1869

17歳の児玉源太郎が献効隊半隊士令に徴され函館戦争で初陣

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

版籍奉還

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1869

奇兵隊などの長州藩諸隊の廃止に伴い脱退騒動が起るが木戸孝允は武力鎮圧を断行し130余人を処刑

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1869

児玉源太郎が明治政府出仕(兵部省御雇)

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1869

兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)

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1869

大村益次郎が京都河東操練所開設、児玉源太郎・寺内正毅らが入学

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1869

大村益次郎が京都三条木屋町の旅館で会食中に急進的な兵制改革に反発する元長州藩士8人に襲われ大阪にて死去(享年46)、郷里の山口市鋳銭司に葬られる

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1871

明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設

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1871

長州閥に連なる児玉源太郎が陸軍歩兵士官となり累進

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣

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1872

司法省に警保寮を設置(警察組織の発足)

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1872

明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1873

山縣有朋が陸軍卿就任

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1873

徴兵令布告

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1873

岩倉使節団が帰国

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1873

明治六年政変

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1874

佐賀の乱、鎮台参謀の児玉源太郎が瀕死の重傷を負う

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野

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1874

児玉源太郎が熊本鎮台准参謀就任

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1875

黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結

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1875

江華島事件

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

廃刀令布告

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1876

秩禄処分

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1876

神風連の乱、熊本鎮台准参謀の児玉源太郎が反乱鎮圧を指揮

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1876

秋月の乱

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1876

萩の乱

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1877

西南戦争、25歳の児玉源太郎が熊本鎮台参謀副長に就き熊本城籠城戦に活躍

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1877

木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

参謀本部設置

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1878

山縣有朋に代わり西郷従道が陸軍卿就任(参議兼務)

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1879

伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任

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1880

陸軍卿の西郷従道が参議・農商務卿に転出し大山巌が陸軍卿就任

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1880

児玉源太郎が東京鎮台歩兵第2連隊長兼佐倉営所司令官就任

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1882

軍人勅諭公布

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1882

朝鮮で壬午事変

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1884

大山巌陸軍卿を団長とする軍事調査団が渡欧、随員の桂太郎・川上操六がドイツ式陸軍建設を推進

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1884

朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援

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1885

福澤諭吉が「脱亜論」を発表

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1885

児玉源太郎が参謀本部局長就任

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1885

第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)、大山巌が陸軍大臣就任

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1886

臨時陸軍制度審査委員会発足、桂太郎・川上操六・児玉源太郎(陸軍三羽烏)が軍制改革を牽引

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1887

児玉源太郎が監軍部(教育総監部)参謀長就任、陸軍大学校長を兼任

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1887

鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代

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1888

黒田清隆内閣発足、大山巌が陸軍大臣就任

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1888

鎮台制を師団制に改編

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1889

川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進

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1889

大日本帝国憲法発布

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1890

第一次山縣有朋内閣発足、大山巌が陸軍大臣就任

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1890

第一回帝国議会開催

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1891

山本権兵衛が西郷従道海相のもと海軍省大臣官房主事に就き海軍の分離独立改革を断行

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1891

第一次松方正義内閣発足、大山巌が陸軍大臣就任(高島鞆之助に途中交代)

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1891

帝政ロシアがシベリア鉄道起工

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1892

第二次伊藤博文内閣発足、大山巌が陸軍大臣就任

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1892

児玉源太郎が陸軍次官兼陸軍省軍務局長就任

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1893

日清戦争準備の作戦会議、伊藤博文首相が川上操六(陸軍)・山本権兵衛(海軍)の開戦論を採用

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1893

海軍軍令部設置

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1894

不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

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1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

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1894

日清戦争勃発、児玉源太郎は陸軍省枢要で後方任務を主導

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1895

児玉源太郎が台湾総督府開設業務に奔走

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1895

台湾総督府設置

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1895

朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件

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1896

露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得

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1896

第二次松方正義内閣発足、大山巌が陸軍大臣就任(高島鞆之助に途中交代)

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1897

朝鮮が大韓帝国と改称

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1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

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1898

第三次伊藤博文内閣発足、桂太郎が陸軍大臣就任

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1898

児玉源太郎が第4代台湾総督就任(~1906)、後藤新平を民政局長に抜擢し植民地経営に成功

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1898

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣、桂太郎が陸軍大臣就任

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1898

第二次山縣有朋内閣発足、桂太郎が陸軍大臣就任

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1899

地租増徴

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1899

川上操六死去

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1900

軍部大臣現役武官制制定

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1900

北清事変

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1900

第四次伊藤博文内閣(政友会)発足、桂太郎が陸軍大臣就任(児玉源太郎に途中交代)

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1901

第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足、児玉源太郎が陸軍大臣就任(寺内正毅に途中交代)

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1901

北京議定書調印

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1901

ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立

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1902

第一次日英同盟協約締結

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1902

児玉源太郎に代わって寺内正毅が陸軍大臣就任

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1903

児玉源太郎が内務大臣就任(文部大臣兼任)

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1903

児玉源太郎が内相・文相を辞し参謀本部次長に就任

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1903

ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂

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1904

仁川沖海戦

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1904

日露戦争開戦、児玉源太郎が満州軍総参謀長として出征

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1904

伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣

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1904

井上馨の依頼を受け高橋是清が日露戦費調達のため渡欧米

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1904

第一次日韓協約締結

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1904

遼陽会戦

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1905

旅順攻略

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1905

血の日曜日事件~ロシア革命が始まる

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1905

奉天会戦

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1905

児玉源太郎が東京に帰還し日露講和に奔走

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1905

日本海海戦

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1905

帝政ロシアで戦艦ポチョムキンの反乱

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1905

第二次日英同盟協約締結

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1905

ポーツマス条約調印

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1905

日比谷焼打事件

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1906

第一次西園寺公望内閣(政友会)発足、寺内正毅が陸軍大臣就任

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1906

大山巌に代わり児玉源太郎が参謀総長就任(児玉は8年2ヶ月在任した台湾総督を免職)

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1906

児玉源太郎が南満洲鉄道創立委員長を兼任

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1906

児玉源太郎が死去(享年55)

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1907

児玉源太郎の嫡子児玉秀雄が父の勲功により伯爵を受爵

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