6 toshimichi

おおくぼ としみち

大久保 利通

1830年~1878年

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島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家

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Kakei

大久保氏は、藤原氏を称するが真偽不明で戦国時代に京都から薩摩へ移住し島津氏に仕えたといい、薩摩藩の城下士ながら家格は下から二番目の御小姓組(西郷隆盛と同じ)であった。琉球館附役の大久保利世はお由羅騒動で島津斉彬派に連座し鬼界島へ遠島処分、嫡子の大久保利通も記録所書役助を罷免され一家は困窮したが、精忠組首領の利通は島津久光に抜擢され薩摩藩を率いて討幕を達成、明治政府の最高実力者に上り詰めた。大久保利通は、妻ます(満寿子)との間に四男一女・妾おゆう(京都祇園一力亭の芸妓)との間に四男を生し、大変な子煩悩であったという。家督を継いだ嫡子の大久保利和は、鳥取・大分・埼玉・大阪の知事と農商務省商工局長などを歴任、利通の功績により侯爵を叙爵し貴族院議員に勅撰されたが、無嗣のため三弟の利武に後を継がせた。利武から家督と侯爵位を継いだ嫡子の大久保利謙は、日本近代史の学究となり名古屋大学教授・立教大学教授などを歴任、国会図書館収蔵の明治期の重要政治外交資料8万点の収集に労があった。孫の大久保利春は、ロッキード事件で有罪判決を受けた元丸紅専務、「じいさんにあわせる顔がない」が口癖だったという。大久保利通次男の牧野伸顕は、宮内大臣・内大臣として昭和初期の宮廷政治を宰領し従一位・伯爵に叙されたが、「君側の奸」と軍部に狙われ五・一五事件で腰砕けとなり軍部の暴走を許した。長女の雪子は、戦後日本の従米路線を決定付けた吉田茂の妻で、二男三女を産んだ(次女は夭逝)。吉田茂・雪子夫妻の三女和子は、福岡麻生財閥の当主麻生太賀吉に嫁ぎ、長男の麻生太郎は首相、長女の信子は寛仁親王の妃となった。麻生太郎・信子のほか牧野力(通産事務次官)・武見敬三(参議院議員)も大久保利通の玄孫である。