29 miyazakihayao

みやざき はやお

宮崎 駿

1941年~-年

70

『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』とメガヒット連発で日本映画を制覇、エコロジーな世界観と萌えキャラで世界的巨匠となった日本アニメの完成者

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Kakei

宮崎駿は、太平洋戦争開戦の年に裕福な軍需工場経営者の四人兄弟の次男に生れた(出生地は東京市)。父(名前不明)は叔父が経営する中島飛行機の下請け企業「宮崎航空興学」の役員で栃木県の工場長、宮崎駿は幼少期に宇都宮空襲に遭遇している。宮崎航空興学の栃木工場は千数百人を擁する大工場で戦時景気を満喫、国民が窮乏に喘ぐなか宮崎家の食事はいつも銀シャリで、父はガソリン自動車を乗回したという。戦後一家は栃木県から東京永福町へ移り、宮崎駿は都立豊多摩高等学校から学習院大学政経学部へ進学、漫画家志望だったが東映動画のアニメーターに就職しアニメ映画の巨匠へ上り詰めた。安保闘争期に学生だった宮崎駿は多分に漏れず左翼青年となり、戦争で焼太りした父に複雑な感情を抱き「未熟な職工を臨時工に仕立て、軍人に賄賂を送って粗悪品を売付けた」などと批判したが、引退作『風立ちぬ』でゼロ戦開発者の堀越二郎を取上げ亡父を投影している。宮崎駿は朱美夫人との間に二男をもうけた。長男の宮﨑吾朗は、信州大学農学部森林工学科を卒業し公園緑地や都市緑化を手掛ける森緑地設計事務所に勤めた後、31歳でスタジオジブリに入社し「三鷹の森ジブリ美術館」のデザインを担当した。宮﨑吾朗は「三鷹市立アニメーション美術館」初代館長に担がれたが閑職に飽き足らず、鈴木敏夫社長らの反対を抑えて畑違いのアニメ監督となり(父の宮崎駿も反対したというが本当なら監督にはなれない)2006年劇場アニメ映画『ゲド戦記』でデビュー、宮崎駿の後継者本命の米林宏昌と競うように第二作『コクリコ坂から』を発表し、2014年『山賊のむすめローニャ』でテレビアニメーションシリーズの監督も務めている。次男の宮﨑敬介は武蔵野美術大学造形学部卒、宮崎駿・スタジオジブリとは距離を置き版画家として活動している。