104 takeshinoboru

たけした のぼる

竹下 登

1924年~2000年

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中曽根康弘に次ぐ「バブル崩壊」の元凶、田中角栄から自民党最大派閥を簒奪し首相となったがアメリカの軍事協力要請を拒否し「リクルート事件」で倒された「気配り・目配り・金配り」の達人

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Kakei

竹下登の生家は、「日本三大山林王」に数えられた「島根の支配者」田部家の配下で掛合地区の庄屋を世襲した家柄で、広大な農地を有し酒造業も営む素封家であった。竹下勇造の長男に生れた竹下登は、戦後故郷に戻りブラブラ(掛合中学校の代用教員)しながら掛合村の農地委員や青年団活動に従事し、27歳のとき主筋の田部長右衛門(第23代)の後援で島根県議会議員となり政界に進出した。竹下登は、早稲田大学商学部入学後すぐに竹内政江を娶ったが、生家に一人置かれた新妻は舅の度重なる夜這いに耐えかね、登に相談するも「お前のほうに問題がある」と叱責され自殺した。その翌年、竹下登は島根の銀行員の娘で遠縁の遠藤直子と再婚し、三女をもうけた。長女の一子は佐藤栄作夫人寛子の勧めで盟友金丸信の長男金丸康信に、次女まる子は毎日新聞政治部記者から竹下登の秘書となった内藤武宣に(のちKBS京都常務となり危険人脈に連なる)、三女の公子は竹中工務店創業者一族の竹中祐二に嫁がせた。内藤武宣・まる子の長男はタレントのDAIGO(内藤大湖)である。娘婿3人は政治家にならず、2000年竹下登の引退に伴い異母弟で秘書の竹下亘が島根2区の地盤を継ぎ衆議院議員となった。