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よしだ しょういん

吉田 松陰

1830年~1859年

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「二十一回猛士」と称して海外密航・老中襲撃・討幕挙兵を画策し松下村塾を開いて長州藩を覚醒させ門弟の高杉晋作・久坂玄瑞・木戸孝允に「狂」を植付け討幕の原動力ならしめた純粋激烈な大教育者

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Kakei

杉百合之助は、百人中間頭と盗賊改方を勤めた家禄26石の最下級藩士であったが、篤学の人で皇室尊崇の精神が篤かった。百合之助の次弟の大助は長州藩の山鹿流兵学師範を世襲する吉田家に入嗣し、三弟の文之進は玉木家に入嗣し兵学・儒学指南の松下村塾を開いた。杉百合之助は、嫡子の民治に杉家を継がせ、次男の寅次郎(吉田松陰)を吉田大助の跡目養子に出した。三男の敏三郎は言語障害者で松蔭は最期まで気に掛けた。百合之助は千代・寿・艶・文の四女を生し、吉田松陰は末妹の文を愛弟子の久坂玄瑞に嫁がせた。吉田松陰は、吉田家を5歳で継いだ後も9歳まで杉家で養育され、基礎教養の和漢学(主に朱子学)を父に学び、家学の山鹿流兵学は印可を持つ叔父の玉木文之進に学んだ。松蔭は生涯妻帯せず終生不犯(童貞)であったといわれる。吉田家は、22歳の吉田松陰が起した脱藩事件で家名断絶に処されたが、松陰没後に甥の小太郎(杉民治の子)が再興を赦された。維新後、吉田小太郎が萩の乱で戦死し、家督を継いだ甥の吉田彦能も20代の若さでブラジルで客死したため、吉田家は無嗣断絶した。杉民治の嫡孫である杉道助(彦能の実兄)は、慶應義塾から実業界に入り、大阪商工会議所やジェトロ(日本貿易振興会)の初代理事長を務め、鳩山一郎内閣で日ソ交渉全権顧問を務めた。吉田松陰の妹である杉文は、安倍晋三首相の選挙区出身故か、新島八重の二番煎じか分らないが、何故かNHK大河ドラマでヒロインに抜擢され一躍脚光を浴びた。文は母と共に松下村塾生の世話を焼いたようだが、ひどい不器量で貰い手が無く、縁談を持掛けられた久坂玄瑞は恐れをなすも先輩志士(佐久間象山だったと思うが失念)に戒められ悔悟して文を娶った。とはいえ久坂は家に寄付かず文に子は出来なかったが、京都島原の遊女ひろを愛人とし久坂の死から20日後に遺児の久坂修次郎が誕生した。未亡人の文は長州藩世子毛利定広の嫡子興丸(毛利元昭)の守役に選ばれ、姉の杉寿の死に伴い後添えとして楫取素彦と結婚、長州閥に連なる楫取は男爵・貴族院議員に出世したが、文は子を生さなかった。