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蒋介石による上海クーデターで第一次国共合作が破れ、国民政府軍に追われた共産党勢は、江西省瑞金に革命拠点を築いて中華ソビエト共和国臨時政府の樹立を宣言した。しかし、北伐を完了して軍閥勢力を駆逐した蒋介石率いる国民政府軍が共産党への攻勢を強めたため、共産党の紅軍は瑞金を放棄して中国内陸部への逃避行を開始した。結党以来コミンテルン配下のソ連留学組が中国共産党を主導してきたが、長征の過程において、国共合作に固執するなどソ連国益優先の路線が党内の反発を招き、ゲリラ戦で実績を積み重ねた毛沢東一派が中国共産党の実権を掌握した。毛沢東は「農村が都市を包囲する」農民反乱主導による中国式の革命を唱え、都市労働者主導のソ連式革命に固執するコミンテルン派との対立が次第に先鋭化した。なお、毛沢東の指導権確立においては実力者周恩来の支持が決定的要因であったが、独裁を企図する毛沢東は次第に周恩来への警戒を強め、周が亡くなるまで執拗に権力削減に策動することとなる。