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1882年に渋沢栄一の呼掛けで発足した大阪紡績(現東洋紡)は、株式発行によって膨大な資金を集め、最新・最大級の紡績機を導入した大規模工場を建設、また実用化間もない電力を大々的に導入し、24時間操業も行った。大阪紡績は大成功を収め、それに倣って次々と紡績会社が発足、紡績業は主要な輸出産業へと発展した。世界の紡績業は産業革命発祥のイギリスがリードしてきたが、日本は100年遅れで産業革命に乗出したためリング紡績機など最新技術をそのまま導入することとなり、旧来型のミュール紡績機からの転換が進まず設備の老朽化が著しいイギリスより有利な状況で紡績業に参入することができた。また、中小事業者が乱立するイギリスに比べ、日本では渋沢栄一をはじめとする財界人が協力して大規模工場の建設を進め、三井物産を筆頭に商社による綿花の大量仕入れも奏功、人件費の安さも手伝って、日本の紡績業は国際市場で比較優位を確立、主戦場である中国市場からイギリス製品を駆逐していった。日本の綿製品の輸出量は、1928年にはイギリス製品の37%に達し、1932年には92%と肉薄、1936年には141%と完全に抜き去った。だが、日本の繊維産業の躍進は深刻な経済摩擦を生み、1929年の世界恐慌以降、イギリスは露骨なブロック経済化によって日本製品の排除を進め、インド市場から締出された日本はそのはけ口を満州に求め、日英対立は戦争レベルまでエスカレートすることとなった。そして、遂に第二次世界大戦が勃発すると、インドなど欧米列強植民地への輸出が完全に封鎖され、さらに戦局悪化により輸送路が途絶えたために中国大陸への輸出も激減、隆盛を誇った日本の繊維産業は壊滅的打撃を蒙った。