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日本政府は国内農村の窮乏緩和と満蒙に地歩を固めるべく満蒙全土への農業移民政策を推進、特に広田弘毅内閣が「満州開拓移民推進計画」を決定した1936年より開拓移民団の派遣が本格化した。満蒙移民の内訳は、長野県の3万7859人を筆頭に東北各県・熊本県・広島県・新潟県・高知県・岐阜県などが多くを占めた。国策会社の満州拓殖公社が強引な土地収用を行い開拓団に供与したため、現地人は反感を募らせた。第二次大戦終結時、27万人の開拓団入植者が「棄民」となり、日ソ中立条約を破って満州に侵入したソ連軍により7万8500人が殺戮され、生存者の多くはシベリアへ送られ過酷な強制労働を強いられた。在留日本人(中国残留孤児)問題は今日に至っても解消されず、日本へ帰還できた人も言葉と文化の違いで苦労し2世3世の「怒羅権(チャイニーズ・ドラゴン)」という新たな問題も発生している。