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海軍青年将校が起した五・一五事件の収拾を図るべくテロに斃れた犬養毅に代わり海軍良識派の斎藤実が74歳にして組閣した。首相候補には平沼騏一郎と山本権兵衛の名も挙がったが、右翼の平沼は昭和天皇の「ファッショに近いものは不可」との意思により外され、山本は80歳の高齢であることと東郷平八郎元帥ら海軍艦隊派の反対により三度目の組閣を阻まれた。高まる軍部の専横を抑えるため、民政党と政友会からも閣僚を迎え入れた「挙国一致内閣」であった。なお斎藤実内閣の発足に伴い、長州閥打倒を掲げる永田鉄山ら「一夕会」が結党以来擁立に動いてきた荒木貞夫が陸相・真崎甚三郎が参謀次長(参謀総長は飾雛の閑院宮載仁親王)・林銑十郎が教育総監に就任し陸軍三長官の揃い踏みとなった。