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井上日召の血盟団ら民間右翼団体が有力政治家や財閥重鎮など約20名の暗殺を企て、濱口雄幸内閣の蔵相で金解禁を断行した井上準之助および三井合名理事長の團琢磨を射殺した(血盟団事件)。一部の海軍人も関与したが、第一次上海事変に出征したため実行犯には加わらなかった。首謀者の井上日召および暗殺犯の小沼正・菱沼五郎が無期懲役に処されたが、1940年の大赦により僅か8年で出獄した。右翼シンパの近衛文麿は井上日召を別荘「荻外荘」に庇護し、血盟団残党の菱沼五郎・四元義隆や五・一五事件主犯の三上卓(ひもろぎ塾)共々近衛内閣のブレーンに迎えている。日銀時代の井上準之助の上司で「財政の第一人者」高橋是清も4年後の二・二六事件で殺害されるが、経済問題(農村の疲弊)がテロの主要動機だったことが窺える。