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軍部抑制のため政友会との連携を企図した若槻禮次郞内閣であったが、その発案者である安達謙蔵内相の離脱により総辞職、代わって政友会の犬養毅内閣が発足した。満州事変解決を求める国民は孫文とも交流した「中国通」の犬養毅首相に期待し、組閣直後の衆議院総選挙で与党政友会は301議席(民政党は146議席)を獲得し圧勝を収めた。民政党総裁を町田忠治に譲り一線を退いた若槻禮次郞は、重臣会議に列して米内光政・岡田啓介らと共に平和穏健路線を唱えたが、特筆すべき事跡はない。さて、孫文とも交流があり自ら中国通を任じる犬養首相は、中国問題の解決を内閣の使命とした。陸相には永田鉄山軍事課長ら「一夕会」が推す荒木貞夫が就任し長州閥打倒へ向け大きく前進した。