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石原莞爾の意を受けた板垣征四郎関東軍高級参謀は、帰国して陸軍首脳を説得し、若槻禮次郞内閣に働きかけて満州に独立国を建設する方針を認めさせた。大元帥である天皇の命令なくして関東軍を動かした板垣征四郎や石原莞爾・天皇の命令を無視して朝鮮軍を越境出動させた林銑十郎らは本来であれば軍法会議で死刑に処されるべきであったが、この決定によりむしろ評価される立場となり、処罰どころか陸軍の論功行賞で出世の道を歩んだ。この後エスカレートする軍部暴走を運命付けた決定的瞬間であり、若槻禮次郞内閣の大失策であった。若槻禮次郞内閣の退陣に伴い民政党政権の国際協調・対中国不干渉路線を主導してきた幣原喜重郎首相は政界を退いて「幣原外交」「協調外交」はここに終焉、軍部と松岡洋右・大島浩・白鳥敏夫らの強硬路線が日本外交の主導権を握ることとなった。