日本史年表へ戻る
若槻禮次郞内閣の満州事変不拡大方針を不服とする橋本欣五郎(陸士23期)陸軍中佐ら「桜会」が、北一輝・西田悦・大川周明ら民間右翼と結託し東京で武装クーデター未遂事件を起した(十月事件)。桜会は同年3月にも「国家改造」を企てたが、非合法手段を認めない「一夕会」の永田鉄山・岡村寧次(16期)らの反対で首相に担ぐべき宇垣一成陸相に逃げられ失敗していた(三月事件)。捲土重来を期す橋本欣五郎は、親友の石原莞爾(21期)が起した満州事変に呼応し、若槻禮次郞首相・幣原喜重郎外相以下の政府要人を暗殺し荒木貞夫陸軍中将の組閣大命を得て軍事政権を樹立する、という陸軍史上最大級のクーデターを企てた。が、「宴会派」といわれた桜会の計画は永田鉄山が「たとえこころざしは諒とされても、こんな案で大事を決行しようと考えた頭脳の幼稚さは、驚き入る」ほど杜撰なもので、忽ち陸軍中央に発覚し首謀者は憲兵隊に一斉検挙された。永田鉄山は橋本欣五郎の極刑を主張したが、荒木貞夫・石原莞爾らの擁護論が通り内々に重謹慎二十日の軽処分で済まされ、陸軍は又も悪しき前例を積重ねた。処分を免れた大川周明は血盟団事件で團琢磨と井上準之助を暗殺し、北一輝・西田悦は陸軍青年将校を扇動し二・二六事件を引起すことになる。橋本欣五郎は反乱将校を擁護し予備役へ回されたが、日中戦争で軍務に復帰し、近衛文麿首相の新体制運動に加盟し翼賛選挙で衆議院議員となった。