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対外硬派の松岡洋右外相(元満鉄副総裁)の演説を契機に、「満蒙は日本の生命線である」とする論調が活発化し、マスコミが煽ったため、世論は「満蒙生命線論」に染まった。「二十億の国費、十万の同胞の血をあがなってロシアを駆逐した満州は日本の生命線である」というわけで、分り易いスローガンは瞬く間に国民に浸透、後に親米派に転じる吉田茂(奉天総領事)なども「満蒙の支配なくして経済的な繁栄も政治的な解決もない」として歓迎する有様であった。当時の弱肉強食の国際情勢からすると、戦線を満州に留める限りにおいては、合理的且つ現実的な方向性ではあったが、こうした世論の後押しは陸軍中枢が武力解決を決意し満州事変を決行するうえで重要な支援材料となった。