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1929年、アメリカ作品『進軍』『南海の唄』が東京新宿の武蔵野館で公開されトーキー映画が日本初上陸、早くも翌月にはマキノプロが国産初のトーキー映画『戻り橋』を上映した。同年中に818本もの国産映画が製作され観客動員数は延べ1億6千万人、日本映画はいきなり黄金期を迎えた。映画産業は草創期から現在までアメリカの一人勝ちが続くが、東西文明の相違からか、戦前の日本では国産主導で普及が進み劇場公開作品の8割近くは邦画であった。日活・松竹・東宝の3大配給会社を中心に映画産業は興隆し、マキノプロ創業者で「日本映画の巨人」と称された牧野省三、現在でも国際的に高い評価を得る小津安二郎に内田吐夢、特撮映画の円谷英二など名監督が続々登場し、尾上松之助・坂東妻三郎・嵐寛壽郎・大河内伝次郎・榎本健一・原節子ら看板俳優が銀幕を飾った。舞台芸能でも西洋化と大規模化は進展し、歌舞伎・狂言は「伝統芸能」となり大衆演芸の主役は小林一三の宝塚歌劇団や吉本興業へ移行した。