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加藤高明内閣の業績といえば普通選挙法くらいだが、「普選」は政党勢力共通の宿願であり、立役者は加藤首相と与党憲政会ではなく原敬(故人)・犬養毅・尾崎行雄らであった。加藤高明内閣における普通選挙法の審議は、清浦奎吾の「超然主義」枢密院が悪あがきして選挙人の欠格事由の条文に難癖をつけたため若干難航したが、若槻禮次郞内相が欠格事由を「貧困に因り公私の救助を受け、または扶助を受くるもの」(大学生等には選挙権を認める)に改め妥協が成立した。普通選挙法で納税額による制限が撤廃され25歳以上の一般男子すべてに選挙権が与えられることとなり有権者数は4倍増となったが、有権者の増加は必要となる政治資金の膨張に直結し金権政治蔓延の契機となった。自らの首を絞めた政党は資金難に陥り、高橋是清の政友会は持参金(陸軍機密費)欲しさに陸軍長州閥の田中義一に総裁職を禅譲する事態となり、田中の急死後に政友会を継いだ犬養毅・鳩山一郎は民政党内閣打倒に盲進し軍部と結んで「統帥権干犯」を弾劾、犬養は政権を奪回するも五・一五事件で殺害され政党政治は命脈を絶たれた。