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加藤友三郎の急死に伴い海軍の大ボスである山本権兵衛が第二次内閣を組閣した。関東大震災の復興を使命とする山本権兵衛首相は、台湾・満州の植民地都市開発で辣腕を振い東京市長の職にあった後藤新平を内務大臣兼務で特設の帝都復興院総裁に任命し震災復興の大任を託した。後藤新平は、大規模な区画整理と公園・幹線道路の整備を伴う「震災復興計画」を立案、政財界の反発で予算案は大幅削減されたが、今日の東京都心部の原型となる近代都市建設を敢行し、短期間で首都機能を回復させる手柄を挙げた。しかし一方で、帝都再建のために乱発した震災手形が膨大な不良債権と化し、片岡直温蔵相の失言を機に金融恐慌が起り第一次若槻禮次郞内閣が退陣に追込まれる事態となった。続く田中義一内閣で蔵相に就いた高橋是清の豪腕により金融恐慌は終息したが政府財政は回復せず、日本が活路を求め満州へ乗出す要因となった。