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1923年9月1日、相模湾北西部を震源地とするマグニチュード7.9の「関東大地震」が南関東一帯を襲った。昼食時で火を使う家が多かったことも災いし大火災が発生、東京・横浜は焼け野原となり死者・行方不明者10万人以上を出す空前の大災害となった(なお犠牲者数につき、東京大空襲は約10万、阪神・淡路大震災は6千余、東日本大震災は1万8千余)。関東大地震の最中、朝鮮人が暴動を企てているとか井戸に毒を投げ込んだというデマが飛び交い、これを信じた住民によって多くの朝鮮人が殺害された。このデマ騒ぎの首謀者は、警視庁官房主事であった正力松太郎であったとされる。また、軍部や憲兵隊では、震災の混乱に乗じて目障りな左翼活動家を排除しようとする動きが起り、無政府主義者の大杉栄と妻・甥が憲兵大尉甘粕正彦らによって殺害され、平澤計七ら南葛労働会の運動家など13人が亀戸警察署内で軍人に殺害される惨劇が起った。国家財政を直撃した関東大震災は1927年金融恐慌の引き金となり、暗い昭和の幕開けとなった(シャープ創業者の早川徳次は関東大震災で妻子と工場を失いシャープペンシル事業を手放した)。なお「怪人」甘粕正彦は、懲役刑を終えたあと陸軍の勧めで満州に渡り、東條英機(陸軍士官学校の恩師で憲兵のドン)の庇護下で溥儀(満州国皇帝)擁立作戦などの謀略工作に加担、満映理事長の職を得て「満州の夜の帝王」とよばれたが終戦に伴いピストル自殺を遂げた。