日本史年表へ戻る
第一次世界大戦に伴う西欧諸国の財政難と軍縮機運の高まりを受け(日米は特需を享受)、1921年米英日仏伊の五大国が「ワシントン海軍軍縮条約」を締結、建艦競争抑止のため主力艦(戦艦・空母)の比率を米英5:日本3に定めたほか、日本の山東半島権益の返還などが決められた。台頭著しい日本海軍に警戒を強めるアメリカは、イギリスを抱込んで日英同盟を廃棄させ軍縮条約で軍拡抑制を図った。高橋是清内閣は日本全権として加藤友三郎海相・幣原喜重郎(国際協調派外交官)・徳川家達(公爵徳川宗家当主)を派遣した。露骨な日本封じに海軍内部の反発は強かったが、加藤友三郎は「八八艦隊」軍拡計画の主導者ながらアメリカと競う愚を悟って軍縮へ舵を切り「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。国家総動員してこれにあたらざれば目的を達しがたし。平たくいえば、金がなければ戦争ができぬということなり。・・・日本と戦争の起る可能性のあるのは米国のみなり。仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に、結論として日米戦争は不可能ということになる。国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す」と喝破し条約調印を断行した。