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ロシア革命に乗じて日本の勢力拡大を目論む山縣有朋・寺内正毅首相ら軍部は、ソ連軍の捕虜となったチェコスロバキア軍兵士の救出を口実にアメリカ・イギリス・イタリア・カナダと共同でシベリアに派兵した。寺内正毅首相は、陸軍長州閥に連なる対外硬派の後藤新平を内務大臣から外務大臣に転任させシベリア出兵を強力に推し進めた。連合軍の総勢8万5千人のうち7万余を占める日本主導の軍事作戦であったが、民衆ゲリラ部隊の激しい抵抗に遭い最終的に5千人もの死者を出して敗退、シベリア出兵は失敗に終わった。各国はいずれも1920年半ばまでに撤兵を完了したが、日本軍のみは1922年までシベリアに駐留を続けた。