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シーメンス事件で総辞職した山本権兵衛内閣に代わり、民党勢力に担ぎ出された第二次大隈重信が政界復帰して組閣した。元老のうち山縣有朋と松方正義は大隈重信起用に反対したが、井上馨の「反政府と護憲の大火事を消すには、早稲田のポンプを使うしかない」との主張が通った。大隈にはかつての政党政治家としての気概はなく、衆議院解散により政友会議員を半減させて井上の期待に応え、二個師団増設を断行して山縣を満足させた。さらに、第一次世界大戦が起ると「対華21カ条要求」をしでかして後世に重大な禍根を残すこととなった。