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桂太郎は、高まる護憲運動に対抗するため、政党嫌いの山縣有朋の反対を押し切って自派の官僚と議員を糾合し桂新党「同志会」を立上げた。桂太郎総理のもと後藤新平・河野広中・大浦兼武・加藤高明・若槻禮次郞・濱口雄幸らが幹部会を形成し党運営にあたった。伊藤博文・陸奥宗光・西園寺公望に属し桂太郎内閣攻撃の急先鋒だった加藤高明は「外相のポスト欲しさ」に寝返りを打ち、桂の急死を受けて同志会総理に納まった。同志会は政友会に匹敵する二大政党へ発展、第二次大隈重信内閣の与党となり加藤高明外相・大浦兼武内相・若槻禮次郎蔵相が主要ポストを占めた。その後も内閣交代の度に加藤高明内閣が取り沙汰されたが、唯一の元老となり首相指名権を握った西園寺公望に組閣を引延ばされ「苦節十年」寝返りのツケを払わされた。