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中国革命運動が堰を切り辛亥革命が勃発したが、各地で別々に発生した武装反乱はまとまりに欠け、武昌派と上海派が主導権争いで対立した。しかし、革命資金調達のためアメリカにいた孫文が帰国すると革命諸派は挙って歓迎し、孫文は南京で臨時大総統に就任し中華民国樹立を宣言した。一方、既に瀕死の状態で防衛力を喪失した清朝は、李鴻章から北洋軍閥を引継いだ袁世凱に内閣総理大臣・湖広総督の最高位を授け反乱鎮圧を懇請した。拝命した袁世凱は段祺瑞・馮国璋を差向けつつも形勢を観望、中華民国側から臨時大総統禅譲の言質を取ると反旗を翻し、紫禁城を包囲しラストエンペラー宣統帝溥儀を退位させ清朝を滅亡させた。辛亥革命の果実をかっさらった袁世凱は紫禁城に入場し孫文から臨時大総統の地位を強奪、北洋軍閥の武力を背景に中華民国の実権を掌握し、有力者の宋教仁を暗殺し孫文を追放して反抗勢力を一掃し独裁権力を確立した(第二革命)。満州以南に権益を持たない当時の日本には対岸の火事であったが、目敏い大倉喜八郎は孫文の革命政府に気前良く300万円(現在の60億円相当)を贈り誼を通じている。大倉喜八郎は、戊辰戦争で陸軍長州閥に食込み西南戦争・日清戦争・日露戦争に乗じて大蔵財閥を成した武器商人である。