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生糸・綿糸・綿織物・絹織物などの繊維産業は、明治維新から第二次世界大戦に至るまで輸出総額の過半を占め、獲得した外貨は軍艦などの兵器や産業機械の輸入を促し殖産興業を牽引した。初期の繊維産業は家内制手工業が中心だったが、産業資本の成長(財閥形成)と電力会社の勃興により日露戦争を境に大規模工場への集約化が進み大量生産へシフト、豊田佐吉の自動織機など安価な国産機械の普及も後押しとなり、日本の繊維産業は品質価格両面で高い国際競争力を獲得、1909年には製糸輸出が中国(イギリス資本)を抜いて世界一となった。日露戦争後の反動不況はあったが、第一次世界大戦で実害を受けず繊維産業などで特需を満喫した日本は1919年に初めて債権国となり、戦前11億円の債務超過から1920年には約27億円の大幅な債権超過となった。その後、1929年に始まった「世界恐慌」で繊維産業は世界的不況に陥ったが、日本は満州事変後の軍需バブルで逸早く不況を脱し、紡績業輸出は1932年に「世界の工場」イギリスに肉薄し1936年には完全に凌駕、内需振興の軍拡政策で重化学工業も興隆した。が、中国市場を奪われた大英帝国は特恵関税による保護主義政策で(ブロック経済)日本を中国侵出へ奔らせ、第二次大戦勃発に伴い連合国は対日輸出入を完全封鎖、戦局悪化で中国への輸送路も絶たれ、日本の繊維産業は壊滅状態となった。なお、ほとんどの繊維関連企業が破滅するなか、豊田佐吉の長男豊田喜一郎は鮮やかに事業転換を成遂げトヨタ自動車の礎を築いている。