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南満州鉄道会社(満鉄)は、ポーツマス条約で獲得した東清鉄道南満州支線(旅順-長春間)等の鉄道と付属地の炭坑の経営を目的として、政府の過半数出資により設立された国策会社である。満鉄株は熱狂的な人気を博し、第1回株式募集では10万株に対して1077倍もの応募を集め、大倉喜八郎(長州閥系武器商人)のように1人で全額を申込む者もあった。満鉄上場は株式ブームに火をつけ、第一次大戦では満鉄を含む軍需関連株が高騰し多くの「株成金」が出現した。初代満鉄総裁には台湾総督府民政長官として植民地経営を成功させた後藤新平が就任した。満鉄周辺には野心的な官僚や事業家が参集して関連事業を拡げ鉄道・鉱山のほか都市開発・製鉄所・農地開拓・商社・アヘンなど多種多様な分野に拡大、満州事変の勃発で軍政へ移行する1931年まで満鉄は満州計略の中核を担った。なお、アメリカは、日露戦争講和で日本を援けたが、中国進出への遅れを挽回するため日本の満州権益に関心を示し、早くも満鉄設立に際してアメリカ人実業家エドワード・ヘンリー・ハリマンとの共同経営を持ち掛けた。日本政府は、桂・ハリマン協定によりこの提案を受入れようとしたが、小村寿太郎外相の反対により拒否した。アメリカでは反日機運が高まって日本人移民排斥運動が始まり、対外硬派の加藤高明外相が辞任する事態となった。