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戦勝に沸く国民に温かくポーツマスへと送り出された首席全権小村寿太郎であったが、帰国時に待っていたのは対露強硬派が扇動する民衆の罵声で、泣き崩れる小村を伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸に連れて行ったという。桂太郎政府は日露戦争で日清戦争の8倍近い18億円以上もの戦費を費やし、1904年の財政支出は前年の約2.5倍に増大、国民は増税を強いられて不満が溜まっていたところに、期待していた賠償金を得られず怒りが爆発した。対露強硬派により講和条約破棄を訴える集会が日比谷公園で開催されると、3万人の怒れる民衆が参集し、遂に暴徒化して各地の警察署や派出所を次々と襲撃、日比谷公園近くの芳川顕正内相官邸や、政府の御用新聞といわれた国民新聞の社屋に放火して全焼させるという大騒擾に発展した。警察だけでは混乱を収拾できないと判断した政府は、戒厳令を施行し、近衛師団を出動させて鎮圧した。この日比谷焼打事件では、約2000人が逮捕(うち起訴308人)され、死者17人、負傷者約2000人、警察署2ヶ所・派出所203ヶ所などの焼失被害が生じ、講和反対・戦争継続を訴えた新聞約30紙が発禁処分となった。さらに、混乱は東京にとどまらず全国へと波及した。