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日露戦争で国力に劣る日本のとるべき道は短期決戦・早期講和しかないと看破した伊藤博文は、そのカギを握るのはアメリカであると考え、側近の金子堅太郎を派遣して親日世論の喚起と講和仲介の準備工作にあたらせた。金子堅太郎は、少年期に岩倉使節団の随員として渡米し小学校からハーバード大学まで学んだ日本屈指の知米派官僚で、セオドア・ルーズベルト大統領とも面識があった。日本軍は極東ロシア軍を撃破し日露戦争に勝利したが、兵力・弾薬・戦費いずれも払底し戦争継続は不可能となった。ここで伊藤博文・金子堅太郎の準備工作が奏功し桂太郎首相はアメリカ政府に講和斡旋を依頼、ルーズベルト大統領はアメリカのフィリピン支配を日本が認める条件で受諾し米国ポーツマスに日露両国の公使を招いて講和会議を開催した。大国ロシアは強硬姿勢で皇帝ニコライ二世は首席全権ヴィッテに賠償金支払いと領土割譲を厳禁、日本側主席全権小村寿太郎の奮闘も及ばず交渉決裂寸前まで追詰められたが、伊藤博文や山本権兵衛に背中を押された桂太郎首相が賠償金要求放棄と領土割譲を南樺太に留める妥協案を承認し、ポーツマス条約の調印に至った。①朝鮮における日本の優越権の承認、②旅順・大連の租借権譲渡、③東清鉄道の南満州支線(旅順-長春間)・安奉鉄道(安東-奉天間)の経営権および付属地炭鉱の租借権譲渡、鉄道守備に係る軍隊駐屯権の承認、④北緯50度以南樺太の領土割譲、⑤沿海州・カムチャツカ沿岸の漁業権承認、⑥日露両軍の満州撤退(鉄道守備隊を除く)・・・賠償金と領土を断念した日本だが「生命線」朝鮮の奪還で開戦の主目的を達成したのに加え、旅順・大連および南満州鉄道の経営権を獲得、軍事進出を正当化する守備軍隊の駐屯権も確保し「利益線」にして「無主の地」満州への足場を築くことが出来た。