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東郷平八郎率いる連合艦隊は、旅順の太平洋艦隊撃滅を命じられた。世界最強といわれたバルチック艦隊がロシア本国から到着する前にケリをつけたかったが、逆にバルチック艦隊の到着を待ちたい太平洋艦隊は旅順港に留まったため、連合艦隊は旅順港を封鎖するほかに打つ手がなく、膠着状態が続いた。局面打開を迫られた日本軍は、新たに乃木希典の第3軍を編成し、陸上からの攻撃により旅順を制圧する作戦に切替えた。ところが、ロシア軍が大金を投じて大要塞化していた旅順は難攻不落で、第3軍は多くの死傷者を出しながら攻めあぐねた。業を煮やした参謀総長の児玉源太郎は、自ら赴いて乃木の指令権を代行し、ようやく203高地の占領に成功、203高地頂上からの砲撃により旅順港の太平洋艦隊を殲滅した。第3軍は約6万人もの犠牲者を出しながら、遂に旅順攻略の任を果した。司馬遼太郎の『坂の上の雲』で、第3軍の司令官乃木希典と参謀長伊地知幸介は力攻めに固執して6万人もの兵卒を無駄死にさせた無能な指揮官の烙印を押され児玉源太郎・秋山真之の引立役にされたが、当時の「守高攻低」の戦闘常識においてはやむを得ない選択だったといった擁護論もある。保守的で攻めに弱い山縣有朋の指名で司令官となった乃木希典だけに華は無く児玉源太郎のような用兵の妙は感じられないが、有能無能はともかく、結果的に任務を果し日露戦争勝利に貢献したとはいえるだろう。