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日本軍は児玉源太郎参謀長の短期決戦方針に基づき、陸軍兵力を遼陽に結集し決戦を挑む構えであった。が、乃木希典の第3軍が旅順に釘づけとなり、またロシア軍総司令官クロパトキンが決戦を避けて撤退したため、日本軍は勝利したものの決定的な打撃を与えることはできなかった。