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日露開戦に際し、軍事物資の過半を欧米からの輸入に依存する日本は決済用ポンドの獲得を急務とし、林薫駐英公使はロンドン・シティで外債発行すべく日英同盟に基づきランズダウン英外相に債務保証を求めた。日本はインド原綿・イギリス軍艦の最大購入者で帝国経営に欠かせない存在であったが「金持ち喧嘩せず」のイギリスは中立を理由に債務保証を拒否、桂太郎政府は苦境に立たされた。無官ながら「戦時財政の総監督役」の井上馨は、日銀副総裁で英語堪能な高橋是清を抜擢し戦費調達の大役を託した。高橋是清は腹心の深井英五を伴い横浜を出帆、米国行き便船には伊藤博文の命を受けた金子堅太郎も乗っていた。シティに乗込んだ高橋是清は林薫(ヘボン塾同窓)や末松謙澄・長男高橋是賢の協力を得て戦費調達に奔走、日露戦争の下馬評はロシアの圧倒的有利で難航したが、戦局が日本に傾き始めたこともあり、ニューヨークの金融業クーン・レープ商会のロンドン支配人ジェイコブ・シフを自陣に引込んだ。シフは全米ユダヤ人協会会長であり、ユダヤ人迫害を続ける帝政ロシアを日本が苦しめれば、そのうち革命が起るだろうと考えた。なお、ロスチャイルドはユダヤ資本が日本を支援するとユダヤ人虐待が激化すると考え、高橋是清の活動を暗に妨害した。大物シフの全面的支援を得た高橋是清は関税収入を担保に巨額の外債発行に成功、日露戦争終結までに戦費約20億円のうち10億7千万円を調達し、1907年戦後処理用として2億3千万円を追加調達、累計額は13億円に上った。なお、ロシアもシティに乗込み日本と資金調達合戦を繰広げたが、ユダヤ人迫害と社会主義暴動(第一次ロシア革命)を敬遠され失敗している。一方、日本国内では桂太郎首相や井上馨が戦費調達に奔走したが、財界は公債引受を断った。開戦前「安田の一語、日露戦争を止ましむ」と顰蹙を買った「銀行王」安田善次郎は、日露戦争勝利が決ると低利新発国債による高利外債の期限前償還を提案、第二回起債分1億円を安田銀行で引受けて汚名を雪ぎ勲二等瑞宝章を贈られた。「時代の寵児」高橋是清は男爵に叙され、日銀総裁・蔵相を経て原敬暗殺後の政友会総裁に担がれ首相に上り詰めた。