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日露戦争で国力に劣る日本のとるべき道は短期決戦・早期講和しかないと看破した伊藤博文は、そのカギを握るのはアメリカであると考え、側近の金子堅太郎をアメリカに派遣して親日世論の喚起と講和仲介に向けた工作にあたらせた。金子は、少年期に岩倉使節団の随員としてアメリカに留学し、小学校からハーバード大学まで学んだ日本屈指の知米派官僚で、セオドア・ルーズベルト大統領とも面識があった。このときの伊藤の判断と金子のアメリカでの活躍が、後に日本を救うこととなる。