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桂太郎政府は伊藤博文・井上馨の慎重論を退けロシアに宣戦布告、遂に日露戦争が始まった。陸軍は、総司令官大山巌・参謀総長児玉源太郎のもと第1軍(司令官黒木為楨)・第2軍(司令官奥保鞏)・第3軍(司令官乃木希典)・第4軍(司令官野津道貫)・鴨緑江軍(司令官川村景明)を編成した。やる気満々の山縣有朋は総司令官として出征するつもりだったが、用兵下手のうえ口うるさい山縣ではやりにくかろうという明治天皇の英断で日本に留め置かれた(戦争が始まると山縣は督励電報を送り続け現地将官を辟易させた)。一方の海軍は、海相として軍政を握る山本権兵衛が軍令も統率し、山本の作戦計画により編成された連合艦隊は第1艦隊司令長官東郷平八郎・参謀長島村速雄の指揮下に第2艦隊(上村彦之丞)・第3艦隊(片岡七郎)が連なった。なお連合艦隊司令長官の人選は、常備艦隊司令長官の日高壮之丞の横滑りが常道であったが、山本権兵衛は暴走の懸念がある日高を退け命令遵守型の東郷平八郎を指名、明治天皇に理由を尋ねられた山本は「東郷は運の良い男ですから」と回答した。「T字戦法(東郷ターン)」で日本海海戦を勝利に導く秋山真之参謀は東郷司令官の旗艦三笠で作戦を差配、また後に首相となる加藤友三郎は第2艦隊参謀長として出征した。日露両軍の戦力は、日本軍の陸軍総兵力約108万人・艦隊総排水量約26万トンに対して、ロシア軍は陸軍総兵力約200万人・艦隊総排水量約51万トンであった。戦力に加え資金力も乏しい日本政府は日露戦争の戦費調達に腐心したが、日銀副総裁の高橋是清がイギリスに渡りユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの協力を得て外債および戦時国債の発行に成功、最終的に戦費の過半は外債で賄われ高橋は陰の立役者となった。