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北清事変後、列強8カ国は清と講和条約を結んで停戦した(北京議定書)。賠償金4億5千万両の支払い、列国に対する安全保障と守備兵駐留を認めるなど、清の基本的な統治機能をも否定し半植民地化を決定付ける内容であった。特に国家収入の5倍にもなる膨大な賠償金支払いの負担は重く、搾取が強化された民衆の排外機運は高まり、清朝滅亡後に賠償金債務を引継いだ国民政府が十分な財政基盤を確立できない原因ともなった。北京議定書調印により列国は軍隊を撤収したが、ロシアは逆に部隊を増派して満州を事実上占領し、清政府を抱込んで更なる南下政策を推し進めようと画策した。ロシアへの警戒感を強めた桂太郎政府は満州駐留に対する抗議文を送りつけたが、ロシアは聞く耳を持たなかった。