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薩長藩閥に対抗し政党内閣を創るため板垣退助の自由党(衆議院議席数98)と大隈重信の進歩党(同91)が合同し憲政党を結成し、第5回衆議院総選挙で圧倒的多数の議席を獲得した。伊藤博文は民党勢力の協力なくして政権運営は無理だと悟り自ら政党を立上げることを決意、第三次伊藤博文内閣を総辞職させ政友会を立上げた。伊藤博文は憲政会の大隈重信と板垣退助のいずれかを後継首相に指名上奏、初の政党内閣である大隈重信首相・板垣退助内相の「隈板内閣」(第一次大隈重信内閣)が発足した。が、両党合同し結成された憲政党は内部分裂を起し隈板内閣は僅か4ヶ月で崩壊した。