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甲午農民戦争で朝鮮派兵を敢行した伊藤博文政府は、立憲制への移行が完了し軍備増強も進んだことから対清開戦を決意、大本営を広島に設置し、帝国議会は巨額の軍事予算を承認するなど挙国一致体制の構築に成功した。伊藤首相の腹心陸奥宗光外相と、参謀本部を仕切る川上操六が開戦路線を牽引した。朝鮮政府に対して清との宗属関係を断つよう求めたが、これが拒否されると日本軍は朝鮮王宮を占領、親日政権を樹立したうえで、朝鮮半島から清の勢力を一掃するため清政府に宣戦布告した。近代的軍備と兵士の練度に優る日本軍は緒戦から清軍を圧倒、山縣有朋の陸軍第1軍が平壌を陥落させ、伊東祐亨率いる連合艦隊が黄海海戦に勝利して制海権を握ると、陸相大山巌の陸軍第2軍が旅順攻略に成功、陸軍第2軍と連合艦隊が陸海から山東半島の威海衛を攻撃して清の北洋艦隊を壊滅させた。前線の将兵の活躍により日清戦争は日本軍の完勝で終結したが、作戦を担い必勝の布陣を準備した陸軍の川上操六と海軍の山本権兵衛の手腕は一層鮮やかであった。日清戦争における両国の戦力は、日本の陸軍総兵力約24万人・艦隊総排水量約5.9万トンに対して、清は陸軍総兵力約63万人・艦隊総排水量約8.5万トンであった。