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日本を巡遊中のロシア帝国皇太子ニコライ2世が、滋賀県大津市で警備員の警察官津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した(大津事件)。強大国ロシア相手の不祥事に日本国中が震撼するなか、ニコライ2世は軽傷で済み政府・皇室の謝罪で事無きを得たが、第一次松方正義内閣の引責退陣は確定的となった。対露関係の悪化を恐れる松方正義首相・山田顕義法相・警察管掌の西郷従道内相ら閣僚は津田三蔵を死刑に処すべく奔走したが、大審院院長の児島惟謙は「刑法116条の大逆罪は外国皇族には適用されない」として無期懲役判決を強行、西郷従道内相・青木周蔵外相が辞任する騒動へ発展した。政府の司法介入を撥ね付けた児島惟謙は「護法の神様」と讃えられたが、間もなく花札賭博で告発され大審院を退官し代議士へ転じた。後に皇帝位に就いたニコライ2世は対日強硬姿勢を貫き日露戦争を引起すが、13年前の大津事件のトラウマが皇帝を突き動かしたともいわれる。ただニコライ2世は、津田三蔵を取押えた人力車夫の向畑治三郎・北賀市市太郎に勲章・報奨金と終身年金を贈り、日露戦争中も年金支給を停止しなかった。