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2年間の欧州遊学でホトボリを冷ました陸奥宗光は、国家転覆罪の前科持ちながら伊藤博文の引きで外務省に登用され、要職の駐米公使を経て、第一次山縣有朋内閣の農商務相に抜擢された。陸奥宗光は、伊藤博文の腹心ながら、坂本龍馬・海援隊以来の繋がりで土佐派が主流を占める自由党に強固な人脈を持ち、第一回帝国議会開催に際し薩長藩閥と政党勢力のパイプ役を期待されての初入閣だった。陸奥宗光は薩長閥打倒の宿志を胸に秘め、元海援隊士で妹婿の中島信行衆議院議長や紀州藩改革時の部下である星亨らと提携して円滑な議会運営に導き、山縣有朋首相と伊藤博文の期待に応えた。農商務相として陸奥宗光は原敬ら藩閥外官僚を盛立てている。次の第一次松方正義内閣で陸奥宗光は農商務相に留任したが薩摩閥の専横と大選挙干渉に抗議し辞任、政党勢力の総スカンで松方内閣が瓦解し、第二次内閣を組閣した伊藤博文は「カミソリ陸奥」を外相に採用し幕末以来の悲願である不平等条約改正を託した。