日本史年表へ戻る
壬午事変以後、閔氏一派を中心とする事大党は急速に清への依存を強めたが、日本の明治維新を範とした国体改革と清からの独立を志す金玉均らの独立党が台頭、日本公使館の援助を得てクーデターを図ったが(甲申事変)、壬午事変同様に清によって鎮圧された。日本においては、金玉均の支援要請を受けた自由党の板垣退助と後藤象二郎が伊藤博文に運動し、政府の独立党支援政策に発展した。また、福澤諭吉も朝鮮の自立的な近代化に期待を寄せ、独立党への資金援助のほか、慶應義塾への留学生受入れ、弟子の井上角五郎を朝鮮に派遣して新聞『漢城旬報』の発行を支援するなど後援活動を行った。日清両国は、伊藤博文が天津に乗込んで李鴻章との講和交渉にのぞみ、両軍の朝鮮からの撤兵と、今後派兵する際の事前通告などを定めた天津条約を1885年に締結した。独立党を支援した日本政府内では対清開戦論もあったが、立憲政体への移行など内治を優先すべしとする伊藤博文・井上馨の主張が通り、結局は矛を収めることとなった。