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激化する自由民権運動に対して、山縣有朋を中心とする薩長閥は、大隈重信や後藤象二郎ら要人の懐柔策を取り混ぜつつ、末端には弾圧姿勢で対応した。1882年の集会条例改定により弾圧を強化すると、自由党急進派の大井憲太郎らは武力蜂起を主張し松方財政下で困窮する農民層を基盤に各地で騒擾事件を起した。福島事件、群馬事件、加波山事件など農民反乱が相次ぎ、大井ら急進派の暴発を制御できなくなった板垣退助の自由党は1884年に一旦解党に追込まれた。