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日本政府は、南進政策を推進するロシアに対する国土防衛上の要請から、朝鮮を清の柵封体制から独立させて日本の影響下に置くことを重大な外交課題としていた。この政策が朝鮮の宗主権を主張する清との軋轢を生み、李氏朝鮮政府を二分する主導権争いに発展した。王妃の親族である閔氏一派は日本から軍事顧問団を招いて開国政策を進めていたが、これに反対する大院君派がクーデターを企図して日本人軍事顧問らを殺害する事件が起った(壬午事変)。清の介入によりクーデターは失敗するが、閔氏一派は日本から離れて救済してくれた清への依存度を高める結果となる。日本は、軍艦5隻に兵員を搭載して朝鮮に派遣し、済物浦条約を締結してクーデター首謀者の処罰と賠償金支払い、公使館護衛を名目に守備兵の駐留を認めさせた。