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西郷隆盛の征韓論に与し明治六年政変で下野した板垣退助は、副島種臣と共に「愛国公党」を結成し大久保利通政府に『民撰議院設立建白書』を提出した後(後藤象二郎・江藤新平・小室信夫・由利公正・岡本健三郎・古沢滋らが加盟)、故郷の高知に戻り片岡健吉・山田平左衛門・植木枝盛・林有造ら同志を糾合して「立志社」を設立した。立志社即ち「土佐派」は続く「国会期成同盟」「自由党」の母体となり、板垣退助の引退と同時に星亨らが伊藤博文の政友会に合流する。さて、3年後に西南戦争が勃発し西郷軍に呼応した立志社の高知挙兵・政府転覆の策動が発覚、首謀者の林有造・大江卓・岩神昴の3人に禁固10年、立志社員ではないが共謀した陸奥宗光に禁固5年の判決が下され、高知在住の片岡健吉らも軽禁固に処された(立志社の獄)。立志社首領の板垣退助・後藤象二郎も事件に関与した疑いが強いが、林有造・大江卓・陸奥宗光らが庇ったため逮捕を免れ、3年後に伊藤博文政権が国会開設の詔を出すと板垣は自由党を結成する。