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江戸時代は収穫高の一定割合(四公六民など)を村単位で物納するシステムであったが、地租改正により地価の定額(3%)を土地所有者が金納する方式に改定された。収穫高の多寡に関わらず固定額を徴収されることとなり、税負担に対応できない自作農は小作農への転落を余儀なくされた。西南戦争後のインフレでは農産物価格が急騰したため農家は収入が増えたうえに課税割合が低下し潤ったが、松方財政によってデフレに転じると小規模自作農の税負担は急増して全国規模で小作農化が進み、1873年には27.4%だった小作地率が1903年には43.2%まで急上昇した。一方で、有力農民は土地を買い集めて資本家に発展し、小作料収入から得た潤沢な資金を公債や株式に投資したり自ら起業したりする者も現れ、地域経済の担い手となった。また、こうした地方の名士層は、国会開設と選挙制度発足により一層政治的発言力を高め、自由民権運動、それに続く軍国主義運動の中核として地方政治において重要な役割を演じることとなる。