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土佐藩の貿易商社「土佐商会」(開成館長崎出張所)は、兵庫開港に伴い「大坂商会」(大坂出張所)へ移され、廃藩置県により民間会社「三川商会」へ改組されたが、実態は幕末から一人で切盛りしてきた岩崎弥太郎の個人経営であった。岩崎弥太郎は、維新直後は政治家を志し上司の後藤象二郎を通じて明治政府に猟官活動を展開したが断念、三川商会を名実共に岩崎家の私企業である「三菱商会」へ改組し以後は商事に専念した。三菱商会は、膨大な設備投資を要する海運業を主体としたため当初は弱体であったが、岩崎弥太郎の外国人脈に基づく豊富な資金力と徹底した低価格・サービス戦略により、僅か一年ほどで三井・鴻池・島田・小野ら政商連合が設立した国策会社「日本国郵便蒸気船会社」と肩を並べるまでに急成長、「士族商法」で破綻した官有物払い下げ事業を吸収し鉱工業などへも手を広げた。なお、今も三菱のシンボルマークである「スリーダイヤモンド」は、岩崎家の家紋「三階菱」と山内家の家紋「三つ柏」を融合し図案化したものである。