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坂本龍馬・中岡慎太郎と懇意だった岩倉具視に見出され若くして明治政府の中枢に入った陸奥宗光であったが、早くも薩長専制に不満を抱き、伊藤博文と共に廃藩置県の即時決行を主張したが容れられず、官職を投出し故郷の和歌山に帰った。岩倉具視のお墨付きを得て凱旋した陸奥宗光は、新政府に怯える紀州藩主から藩政改革を一任され、直ちに佐幕守旧派を一掃し紀州藩を勤皇一色に塗替えた。陸奥宗光は、洋式兵学に詳しい津田出を戊兵都督(藩軍のトップ)・ヤマサ醤油の浜口梧陵を勘定奉行に抜擢して藩政改革の両輪に据え、藩士俸禄の95%カットで財源を捻出したうえで、プロシア将校カッピンを雇入れ兵制を刷新、全国に先駆けて徴兵制を導入し四民から兵員を募った。陸奥宗光は紀州藩外からの人材招聘にも取組み、このとき登用された鳥尾小弥太(戊兵副都督)・林薫・星亨らは後に陸奥派官僚として中央政界で活躍する。陸奥宗光の改革で精兵2万人を抱えた紀州藩は「陸奥王国」の様相を呈し、政府首脳を震撼させた。勢い上がる陸奥宗光は、軍事教官招聘と武器購入のためドイツを訪問したが、帰国し自ら戊兵都督に就いた2ヵ月後に廃藩置県が決定され、親友の伊藤博文の説得に応じ「陸奥王国」を政府に差出す苦渋の決断を下した。とはいえ、政府に帰参した陸奥宗光は神奈川県令・大蔵省次官級の要職に補され、能力を評価された陸奥一派も中央政府に招聘された。津田出と浜口梧陵は大蔵省、鳥尾小弥太と岡本柳之助は軍中央に登用され、林薫や星亨も中央官界への足掛りを得た。