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旧幕府海軍の榎本武揚らは官軍への投降を拒み、大鳥圭介ら徹底抗戦派の幕臣と共に「開陽丸」など8隻の幕府艦隊を奪い品川沖から蝦夷地へ向かった。榎本艦隊は途中で仙台に寄航し、会津戦争から退避した伝習隊・衝鋒隊などの旧幕府軍および新撰組や彰義隊の残党を吸収、同行者には元老中の永井尚志・板倉勝静・小笠原長行や元京都所司代の松平定敬(容保の弟)ら幕閣の大物もいた。榎本艦隊は蝦夷地(北海道)へ乗込み箱館五稜郭・松前城を容易に占拠し「蝦夷共和国」樹立を宣言、入札(選挙)により榎本武揚が総裁・松平太郎(元幕府陸軍奉行並)が副総裁・大鳥圭介が陸軍奉行・土方歳三が陸軍奉行並に就き、天才剣士の伊庭八郎・元浦賀奉行所与力の中島三郎助・元上野彰義隊頭取の渋沢成一郎(栄一の従兄)も仕官に名を連ねた。オランダ留学から開陽丸に乗って帰国した榎本武揚であったが操船術は未熟で、江戸出航直後の暴風で咸臨丸・美賀保丸を失い、官軍に対する優位性の拠り所であった開陽丸を座礁沈没、制海権を失った蝦夷共和国は黒田清隆率いる官軍の猛撃に晒され、弁天台場砲台を奪われ守将の土方歳三は玉砕、全艦喪失の末に榎本武揚は降伏を決断した。その後の榎本武揚は、黒田清隆の奔走で助命され嫡子の妻に黒田の娘を迎えて薩摩閥に連なり、最初の伊藤博文内閣から6内閣で大臣を歴任、子爵に叙され73歳まで生きた。