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天満屋事件後も京都に留まり形勢を観望していた陸奥宗光は、鳥羽伏見戦が勃発すると幕府軍を追う官軍を慕って大阪へ入り、パークス英国公使に面会を求めた。パークス会談で「新政府が最初に為すべきことは、大阪の各国公使に対して王政復古を通知し、新政府の開国方針を表明することだ」と確信した陸奥宗光は、京都に戻り意見書にまとめて岩倉具視に提出した。全面的に賛同した岩倉具視は直ちに各国外交団に新政府樹立を通知して局外中立を引出し、戦乱にあって外交の重要性に着目した陸奥宗光を外国事務局御用掛に抜擢した。岩倉具視は、中岡慎太郎とは暗殺後に号泣したほどの盟友関係で、坂本龍馬も中岡と共に岩倉の朝廷復帰に奔走した経緯があった。外国事務局御用掛には伊藤博文(27歳)・大隈重信(30歳)・中井弘ら薩長藩閥のホープが揃っていたが、その中でも24歳の陸奥宗光は最若年であり、藩閥外ながらこれ以上望めない形で明治政界に進出した。