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薩長による討幕の機運が濃くなると、京都に潜伏する諸国浪士の動きが活発化し、新撰組や見廻組による探索は峻烈を極めた。中岡慎太郎は、佐々木高行らと交渉し京都白川の土佐藩邸と食費等費用を拠出させ浪士群を保護、薩長に呼応して挙兵すべく武器と軍事系統を整備するなど密かに討幕戦の準備を進めた。坂本龍馬の土佐海援隊に対し陸援隊と呼ばれた浪士団は、中岡慎太郎を土佐浪士の田中顕助・那須盛馬・大橋慎三・香川敬三らが補佐した。陸援隊士の出身藩は土佐18人・水戸14人・三河9人・京都9人と続いて総勢は75人に達し、十津川郷士隊50人が合流し合計125人の一団を形成した。明日をも知れぬ浪士らの風紀は甚だ悪く土佐藩は厄介視し、新撰組のスパイも紛れ込んでいた(長州人と称した村山謙吉など)。が、坂本龍馬の死で分裂解消した海援隊と異なり陸援隊は中岡慎太郎の死後も組織を保ち、戊辰戦争に従軍したあと薩長土3藩供出の御親兵に吸収された。