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幕末当時の金銀交換比率は日本国内の6~7に対し欧米諸国は15~20、当然ながら欧米商人は裁定取引に狂奔し割安な日本で金を買漁りボロ儲けした。経済音痴の徳川幕府は無策で放置していたが、百万両もの金が海外流出するに及んで漸く重い腰を上げ、古金貨を回収して金含有率を落とした万延小判に改鋳する計画を立てた。が、維新の混乱で大手両替商が勢いを失う状況下で引受け手が現れず、新興の安田商店にも声が掛り、安田善次郎は幕府役人から所要資金を借入れ独占的に古金銀回収取扱方を引受けた。この決断により、安田商店は年間3~4千両(当時1両約1万円)の収益源を獲得すると共に正確な両替作業で信用を高め、安田善次郎が後年「これで私は身代をこしらえた」と語ったように創業期の経営を軌道に載せることに成功した。さらに、リスクをとって幕府御用を務めた実績は、明治維新後に安田商店が政府御用を引受ける出発点となった。