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武市半平太も山内容堂に随い帰国する予定だったが、悪化する薩長関係の和解周旋を命じられて京都に留まった。山内容堂に召還された武市半平太は、容堂の態度急変を知り勘気を解くため薩長調停案を携え土佐へ出立した。武市の身を案じる久坂玄瑞は長州藩への亡命を勧めたが、武市は断り「挙藩勤皇」の初志を貫徹するため従容と帰国の途についた。